11月の展覧会 2004年

園家 文苑

2004年 11月3日(水) 〜2005年 11月20日(土)

レセプション 11月5日(金)5:00-7:00PM

開画廊時間 :火〜土 12:00-6:00PM

 

園家 文苑/書

「心書」

 

NYCoo Galleryの第七回展は園家文苑(そのけ ぶんえん)氏の書の個展である。京都在住のこの作家は今回でニューヨークでの個展四回目を数え、自身令名の「心書」による新作を発表する。数ある記事、インタビューの中から見つけた作家自身の言葉で「心書」について説明してみよう。

「ちょっとおこがましいですが、心書とは私がつくった言葉です。文字自体がもつ心(意味)、書き手の心、さらに見る側の心のいわば三者からなる心の書として名ずけました。」「漢字は多くの意味を内包しています。それぞれの意味が、さまざまなイメージを喚起させてくれます。文字を見ているうちにイメージが浮び上がる場合と、ある光景をイメージしている時に特定の文字に結びつく場合があります。悠久の歳月を経て人々によって育まれた文字には、きっと魂が宿っているに違いない。それらなら字源よりも、自分の捉えたイメージで現在の文字に新しい生命を吹き込むことができるのではと考えたからです。今ではすっかり心書にはまっています。」


過去の作品に選ばれたのは、桜、月、鳥、蟻、糸、水、雨、風、女などの象形文字が多く、桜は満開の桜を墨の濃淡を使って書く。生、脈なども使われる。また、例えば愛のように、かたちに出来ない文字もあるという。

云うまでもなく、今アメリカは漢字ブームだ。Tシャツからスポーツ選手の入れ墨、男女を問わない若者たちの間に漢字は広がっていく。漢字はそれを理解するか否かによらず人々を魅了する。書をするアメリカ人に会う。メディテイションに書をすると云う人もいる。40年代のマーク・トビーのホワイト・ペインティング、50年代のフランツ・クラインのアクション・ぺインティング、加えてブライス・マーデンの最近作への「書」の影響を思い出し、「書」は漢字圏だけの芸術表現ではなくグローバルな自己表現のジャンルだと見えてくる。

「心書」に戻ろう。芸術制作の目的は人の心を動かすことにあるわけだから、あえて、書に心をつけ「心書」とする必要はないかと思う。しかし、ここには令名者の強い意志があるのだろう。いわゆる既存の「書の世界」との間に一線を引くと云う批判の態度なのだろうか。意欲的な方向付けである。

では、この「心」とは何を指すのだろう。「桜」の心とは何だろう。書に表現された「桜」に筆者の世代が持つ桜イコール神風特攻隊の大和魂という感傷を超えたものを感受できるのだろうか。作品「桜」に対して「生」は墨の黒と紙の白を再認識させるポジティブとネガティブの反転で緊張感のある作品だ。「脈」も作者独自の造型性で観る者を未知の世界に誘う。具体的な物を現わす形象文字の場合はイラスト的単一な表現に終わるのではないか。「生」、「脈」のように抽象的意味を含む文字の場合にあって、より造形的深さに入り、より精神性のある表現を見ることが出来るのは確かのようだ。

園家文苑氏の作品を目の前にし、この論点をもう一度ならず考えて見たい。今回はどのような新作を見せてくれるのだろうか。個展開催を「心」待ちにしている。

 

ギャラリーライター 中里 斉